笑顔でさようなら
8月の半ば
病院から退院されてきた70代の女性のご利用者様。
末期がんでポートという体内に埋め込まれたところから点滴をしての退院です。
病院からの連絡を受け、すぐに退院調整をして戻っていらっしゃいました。
当初は退院は難しいかもしれない、という状況だったそうですが、同居されている娘さんがなんとか自宅に帰って来れないかという相談を持ちかけたことで、退院へと繋がりました。
退院できるよ、ということを病棟の看護師さんが本人に伝えるとポロポロ涙をこぼしながら
「本当は帰りたいって思ってたけど、無理だと思ってた…」
と喜んでいたそうです。
退院してから毎日訪問へ伺い、点滴の交換や清潔ケアをさせていただきました。
ゆずり葉のハンサムボーイ梅垣さんが行くと、喜んで嬉しそうにしていたり、
ベテランナースの永本さんのこだわりの清拭で、とても心地良くなって喜んでいただけたり、
退院して1週間があっという間に過ぎていき、そして1週間が経とうとする頃に急に具合が悪くなりました。
夜間の呼吸苦が始まり、医師へ報告してすぐに在宅酸素が導入されました。
麻薬の量も増えました。
翌日には痰がらみがあり、すぐに吸引器を設置。しかし、これは本人の嘔吐反射が強くすぐに使用することはできませんでした。
ご家族には、状態の悪化を分かりやすく伝え、今がどんな状況で、これからどんなことが予測されるかなどを説明しました。
夜間の呼び出しも続きました。
顔を出すと、少し安堵したような表情を見せてくださいました。医療者のいない《自宅》で苦しそうな家族を看るのは本当に大変なことです。
不安な気持ちはその表情から見て取れます。
本当なら、きっとこのままここにいてほしい気持ちもあるだろうな、と感じつつも
対応策を伝えてご自宅を後にします。
ある夜は、熱が上がって意識が朦朧としてるみたい
と家族からの電話。
すぐに伺うとベッドから足を下ろし苦しそうな呼吸をしながら、到着した私の顔を見て
「もういいかなって思っちゃった」と。
もういいかなって思っちゃったの?と返すと、
「だって、こんな苦しいし、こんなに家族に迷惑ばっかりかけて。
もう死んじゃってもいいかな?」
まっすぐ向けられた瞳を見つめ返しながら、
死んじゃってもいいかな、って聞かれても私はいいよ、ともダメだよとも言えないよ。
でもね、病気になってしまったことは悲しいけれど現実で、おそらく今この家族の中で命の期限が来るのは一番早いのかもしれないけれど、
だからこそ、今こうしてみんなで過ごす時間がとても大切だし、
家族に迷惑かけてると思うかもしれないけどこうしてお家に戻ってきて、一緒にいることやお世話をすることで、家族にとってもそれがこれから先を生きて行くために必要なことなんだと私は思います
そう答えました。
すると、硬かった表情が少し和んで
「ほんとはね、もうちょっと生きてたいって思ってるよ。
こんなわがまま言ってもいいのかな」
当たり前だよ、わがまま言っていいんだよ。そうだよね、生きてたいよね。
そう言うと娘さんの手を握って涙ぐんでいました。
それから数時間、うとうと眠っていたようですが深夜に急変し呼吸状態が悪化しました。
再度の呼び出し。
意識は薄れ、酸素の流量を医師に確認して上げます。
そしてその日の夕方、家族に見守られ息を引き取りました。
お別れは悲しいことだけど、
自宅に戻ってきて1週間という短い時間だったけれど、
家族と笑い、涙して、言いたいことを言い合って、
そして旅立たれていきました。
娘さんが
「お母さん、満足だったと思います」
そう言ってくださった言葉で、ご家族もきっと満足して送れたと感じました。
本当はもっともっと生きて、見たかった景色や行きたかった場所があったと思います。
でもそれが叶えられない状況があって、それはどうにもならないことで、
それでも精一杯生きて、遺してくださったものを関わった人たちは大切に引き継いでいくのだと思います。
娘さんたちに選んでいただいた洋服に着替えて、梅垣さんが髪の毛を洗ってくれて、娘さんがお化粧をしてくれて
とっても安らかなお顔でした。
苦しくて眠れない夜が続いたから、やっとこれで眠れますね、と娘さんが言っていました。
悲しいけれど
それでも笑顔でさようなら